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等閑山・佐伯山・大倉山・木原山 [なおざりやま・さいきやま・おおくらやま・きはらやま]   2020.1.14(2020.1.16作成)

この時期 紅葉や花の季節ではないので 江戸東京百名山のいくつかを歩いてみることにした。今回は東急池上線池上駅から 京浜東北線大森駅をめざした約8kmのコースである。

この日のルートです。
route
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「等閑山・佐伯山・大倉山・木原山」ルートと時間
池上駅13:00
本門寺
力道山墓所
太田神社
佐伯山
大倉山
弁天池
熊野神社
木原山
根岸地蔵
大森貝塚
大森駅15:00
池上駅

池上駅は現在駅ビル工事中である。駅前からまずは池上本門寺を目指す。途中にいくつも「元祖 くずもち」を掲げた店がある。呑川を渡ると正面に総門が見えてくる。

総門
此経難持坂

総門をくぐれば正面に階段が見える。この階段96段の石段だが此経難持坂という。加藤清正が寄進したそうである。

階段を登り切ればすぐに仁王門があり、仁王門をくぐれば大堂の前の広場となる。正月なら混んでいたのだろうがこの日は 人影まばらである。

本門寺は長栄山本門寺と「長栄山」という山名を冠しているがこのあたりの高台の名前というわけではないようであり  低山一座登頂というわけにはいかない。

ここから重要文化財の五重塔方面に向かう。

池上本門寺境内

五重塔辺りへ来ると「←力道山墓所」の案内が目に入る。以前から力道山の墓が本門寺にあることは知っていたのでちょっと寄ってみることにする。 腕組みした胸像がテレビで見ていた力道山を思い出させる。

同じ道を五重塔まで戻る。

五重塔
力道山
めぐみ坂

五重塔の脇を通りめぐみ坂を下って最初の江戸東京百名山74の等閑山へと向かう。 地図を見ながら歩いたが 道がくねくねして細いのでチョット大回りをしてしまった。 等閑山の脇の坂道を登ろうとしたが 崖崩れのため通行止めになっていた。がけ崩れとはまさに登山道である。 仕方がないので少し戻り太田神社の下に回ることにする。

通行止め
長勝寺

長勝寺の前までくると右手後に等閑山が見えている。

太田神社の鳥居から63段の石段がみえている。この神社 那須与一が守本尊としていた神像をご神体としているそうで、 明治時代に八幡社から太田神社に改称されたそうである。

太田神社

63段の石段をのぼり切れば太田神社本殿がある。この本殿のある高台一帯が等閑山ということだがその名前の由来はよくわからない。 江戸東京百名山によると 池部良さんの随筆に出てくるとだけ記されている。

太田神社

本殿裏の道から等閑山をくだり 次の佐伯山に向かう。

佐伯山登り

太田神社から500m程で佐伯山緑地への登り口に来る。ここも緩いが階段道になっている。

階段道を登り切れば佐伯山緑地の入り口となる。

佐伯山緑地

この緑地のあたり一帯は佐伯栄養専門学校の創始者の佐伯氏の所有地であったことから佐伯山と呼ばれているようだ。 この江戸東京百名山75佐伯山の山頂に当たる広場には 蔵のような白い建物があるが用途はよくわからない。 そのそばに災害用井戸ががあるが 山頂で水をくみ上げられるのかしらとチョット心配してしまう。

山頂部を一回りしたあと大森三中の前に出るデッキを下っていく。次は大倉山を目指す。

蔵
デッキ
大倉山公園

佐伯山から1kmほどで大倉山公園の入り口に到着する。緩い登り坂を登ればすぐに江戸東京百名山76大倉山の山頂広場である。 山頂にはこれというものもなく 一回りして下る。

大倉山

大倉山から環状七号線を渡りまっすぐ進むと正面に階段が見えてくるが 階段の手前で左に進み弁天池を目指す。

このあたり馬込文士村として大田区が紹介している。この道にも文士村遊歩道の標識がある。

弁天池までは木原山のふもとを回っていく。山の方へは何本も階段の道がある。

文士村遊歩道
階段道
弁天池

間もなく水が噴き上げている弁天池に着く。この池の中央に厳島神社がある。

地図を見ると近くに山王木原山児童公園というのがあったので木原山と関係あるかと思いよってみることにする。

厳島神社

弁天池から木原山方面への細い階段道を登って木原山児童公園を目指すが 地図を見ながら進むと山を下った所に木原児童公園があった。

名前だけで木原山山頂とは関係なさそうなので 山頂方向にある熊野神社を目指す。

木原山登り
木原山公園
熊野神社

このあたり徳川家おかかえ大工の棟梁であった木原氏の屋敷の裏山ということで木原山と呼ばれているようだ。

地名も山王となっていることからも木原山が大きな山であることがわかる。山頂にある神社も多いので熊野神社によってみる。

地理院地図をみれば三等三角点「大森」がみられるのできっと山頂の三角点であろうと三角点を探してみる。

市街地の三角点はみつからないことが多いがここでも標柱は見つけられなかった。近くを通過したので江戸東京百名山73の木原山踏破ということにして、江戸時代の名残の 薬師堂・再興記念碑・富士講碑のあるという場所に向かう。

三角点付近
山王会館

大田区立山王会館の前を通り 江戸東京百名山に記述されていた薬師堂の場所に向かうが 現在は薬師堂会館になっていた。 会館の掲示板に貼られた地図には冨士講碑などは根岸地蔵にあると書かれていたので少し戻るように根岸地蔵に行って見る。

薬師堂

根岸地蔵に行って見ると古い石碑(左が再興記念碑)があるが 古い薬師堂・富士講碑はよくわからない。

これで予定の江戸東京百名山は踏破したので 大森駅に向かうことにする。

しかし 折角大森に来たならということで 駅前を通過して大森貝塚跡を訪ねてみることにする

根岸地蔵
大森駅

駅を過ぎ少し行くと貝塚の碑の二分の一のレプリカが歩道脇にある。そのすぐ先のNTTのビルの脇の通路を下って京浜東北線の脇にある碑に向かう。

途中の壁面に大森貝塚発見のいきさつとモース博士の業績を紹介したパネルがある。更に先に貝塚の碑がある。

これでこの日のウォーキングを終えるため大森駅へと戻る。

パネル
貝塚の碑

大森駅に戻りウォーキングを終え京浜東北線のホームに下れば ホームに日本考古学発祥の地の碑があった。

考古学発祥の地

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